學日語+留學代辦: 歡迎加入 LINE官網
Category

e研Takeshi的日本留學日記

Takeshi的流浪日記2004-07-03

昼、成田空港に到着した時、KAY先生は迎えに来て寮へ連れて行きました。KAY先生はどんどん景色を紹介してくれました。道がずっと込んで、どのうぐらい時間がかかりもう忘れてしまった。もともと東京タワーを撮るつもりですが間に合いません、諦めた。寮の近くに着いた時、道がとても多かったから、寮の位置を探せなっかた。最後、同じここに住んでいる頼さんに連絡して、見つけました。

Takeshi的流浪日記2004-07-04

七月四日 朝、頼さんが僕達を商店街の店でご飯を食べに連れていて、やばり東京の物価が高くて、せめて台湾より三倍でした。そして原宿へ行って、ここはいい所です ね。台湾の西門町みたいだが様々な物を買えます。思わずにはここでアイドルと同じメガネを買えました。近くに明治神宮があり、拝見することはこちろんでし た。さすが明治神宮で、地が広いし、人もいっぱいいます。一つ人々に手を洗わせる所があり、参拝する前に手を洗って尊敬を表しました。今日はずいぶん暑く て、水がとても涼しい、素晴らしかった。願い事を書いて百円も一緒に入れてました。ある人は結婚式を行って、こなんに珍しいことはすぐ撮りした。 竹下通りはビジュアル系をはじめで、いろいろな物を買えました。朝行く時に まだ営業を始める店がいっぱいあり、午後賑やかになってきた。 竹下通りの通行人は皆の外見がファッションみたいで、人々に比べて、素朴極まる。もし、あなたはロックが好きだたら、竹下通りはいくにたえます。

Takeshi的流浪日記2004-07-14

七月十四日 江戸東京博物館へ見学に行くのは今日のサロン活動でした。電車に乗った時 同じ線に乗れると秋葉原へ行けることは気がつきました。博物館はとても広かった。カメラを持って行って、外で二つ撮った後、突然電力が消えてしまった。 撮ろうにも撮れない、悔しかった。案内書の写真を見るしがない。 五階と六階は展示区で、ここは三区を構成されていました。江戸区はその時の庶民の生活を展示しました。例えば、武士の暮らしとか、町の暮らしとか江戸の商業など、様々な物がありました。 東京区は文化開化東京と背景に関する事で、通史区はいろいろな時代があり、 旧石器時代から古墳時代までと奈良時代から鎌倉時代までと南北朝から戦国時代まで、資料はとても詳し

Takeshi的流浪日記2004-07-21

七月二十一日 白玉だんごの作り方を教えてくれるのは今日のサロン活動でした。担当は親切な志村先生と大井先生です、志村先生はいつも台湾人と言われて、先生の中国語はとても上手だし、見た目が中国人だし、台湾人と言われるのは当然でした。 作り方が書いた紙を見ながらやって見て、先生のおかげで、やっと出来上がりました。とても美味しかったです。それから、日本の茶の種類を紹介し、だいたい 六、七ぐらい種類があり、作り方と温度も違いました。日本では同じ茶碗で飲んでいると先生に言われたとき、みんな一気に不思議な顔をして、これは文化と生 活習慣の違うと思いました。

Takeshi的流浪日記2004-07-22

七月二十二日 私にとって今日は忘れない一日です。何故?実は私の誕生日です。これは珍しくない事ですけど、初めて日本で過ごします。今日のサロン活動は焼肉を食べに行 きましょう。担当はKAY先生と白寄先生です。以前から日本の焼肉に興味がござる僕はぜひ行って見ましょう。食べ放題だから、どんどんどんどん食べても大 丈夫です。さすが日本の焼肉だ!うまい~~~~!!食事中、白寄先生突然ケーキを出す時に、びっくりしました!感動しています。今度の誕生日が皆と一緒に 過ごせるのはとても嬉しかったです。食べた後は写真時間です。 いろいろな仕草、表情をして、一生懸命撮ります。皆さんが人気がある白寄先生と一緒に撮りたい、KAY先生はカメラさんです、とても忙しかったです。 今日は本当にありがとうございました。もし、先生たちがいなっかたら、私達はこのような美味しい物を食べることができません。ご馳走様でした。

Takeshi的流浪日記2004-07-28

七月二十八日 今日は始めて俳句を創作して見ました。とても難しい、創る時に、575のルールに合わせて、長い時間を考えていった。せっかく二つを思い出した。白寄先生 が私らに教えてくれて俳句は季節について創るだけです。創る時に季節の感じをはきっり表すのはポーインドです。私にとって確か難しかったです。 サロン活動は中華街をはじめの横浜へいきました。もともとは一日券を買いたいだが、横浜で使えませんのに。電車で横浜へだいたい三十五分かかりました。 中華街では売っている物が台湾とよく似ってる。沢山中国風のレストランが道のそばに立ち並んで、ここで売っているものが滅茶高かった。小さなポールミュル クティーは百五十円で、太陽餅は百七十円です。不思議なことには肉粽が一つ六百八十円で、大変でしだ。台湾人決して買わないと思います。お土産のような店 があり、いろいろな中国風の物があった。懐かしい台湾の金蘭醤油も買えました。台湾の飲み物にとても興味があった麻耶先生は私たちがお勧めました。もとも とは荔枝汁を取りたいですが、私らに止まれました。結局、仙草蜜を買った。飲んだ後で不思議な顔をして、薬の感じがあったと言いました。彼女はこれあまり 好きではないと思います。やはり日本人と台湾人の食べの習慣が違いました。次は赤レン倉庫へ行った。ここの景色はずいぶん素晴らしかった。中華街から徒歩 八百メートルと着けた。見渡す限り海が見られ、向こうに行って、海があったので風がとても強かったです。東京で、このような風を吹かないのはもう久しぶり です。ここで、外国人が大勢います。空に虹を発見し、撮れるかどうか分からない。海風を吹きながら景色を見て、とても素晴らしかったです。

Takeshi的流浪日記2004-07-29

七月二十九日 チョさんと馬さんと頼さん今日はわざわざ要らない物と食べ物を送りに来た。 感謝しています。チョさんは日曜日に台湾に帰るので、先に持ってきた。麺とか調味料とか何でもありました。さらに、米もあった。毎日ご飯を作ったわたしらにとってこれが一番のプレゼントだった。慣れない日本では皆相互に助けてよく暖かさを感じられました。

Takeshi的流浪日記2004-07-31

七月三十一日 帰る時につれてだんだん近くなった。いつも淋しさを感じました。一ヶ月以来いろいろなことを思って、ますます哀しいだ。今晩の月がとても明るくで、私のうちを思い出した。 カメラで月を撮りたいですが、小さな光点が撮るだけだ。月が同じ点から進んで続けていくように友達の帰る日はますます近くなった。月を見ている私は知らず知らず眠れないから深い眠りになった。

Takeshi的流浪日記2004-08-01

八月一日 今日は友達帰る日です。あさ頼さんが私を彼の家に運びに連れて行く、頼さん要らない物と使える物を全部運びました。食事後、頼さんの家へ行くとき、誰もいないのに。その時とても寂しかったです。 今日からこの町で私達がいるだけで、だんだん寂しくなってきた。

Takeshi的流浪日記2004-08-05

八月五日今日は馬さんと静ちゃん帰る日です。時間が流れ速い、もう一週間だ。頼さんはちょうど帰るようだ。一緒に一ヶ月を過ごした友達今は郭さんがいるだけです。 新しいクラスメートが来たけれども、あまり話し合わない。そのため、あまり知らないです。楽しい時間がいつも速さを過ごす。すぐ私達も台湾に帰ります。